mametal’s diary

職人のオヤジがフリーランスを目指す道のり

逃げちゃダメだ・・逃げちゃダメだ・・・

某アニメのキャラクターが、よくいう言葉と認識しているが「逃げちゃダメだ」というセリフ。今の私には全く響かない。なにせ早く退職して、新たに在宅ワークを始めようとしているからだ。

 

しかし現実は甘くなく、直ぐに退職すればまた直ぐ職につかなくては、食べてはいけなくなるだろう。(数ヶ月は食べれるが、いつまで続くか分からない)

 

先日、不動産屋を訪れて内見をしてきたが久しぶりに見る物件は本当にキッチンが酷かった。汚いとかではないが、広さが全然ない。どこでまな板を使うのか分からないほど狭くなっているのだ。本当にお湯を沸かすだけのキッチンのように感じてしまい、流石に即決とはならなかった。また探さなくては。

 

場所や初期費用等、考えれば考える程、悩みが多くなる。一日悩むのは15分だけにしよう。私の場合、悩み出すと夜も眠れなくなるから。

 

勉強は欠かさずしていこう。将来の為に。

 

逃げ続けるのは嫌だが、逃げなければダメな場合もある。心も体も壊され何とか生きている現在、残りの40代を良い方向に向けて生きていきたい。

 

今日が一番若い日なのだから。明日も頑張っていこう。

 

 

 

 

 

 

 

脱・職人計画を忘れてないか?

よく「脱サラ」という言葉を耳にするが、私の場合「脱職人」というのが正しいと思う。

 

建設業界で働く人は、サラリーマンとは制度が少し違う気がする。同じ時間制の仕事だが雇用制度やモラル、社風、社会的立場など気になるところを挙げればキリがない。

 

私は死に物狂いで、人を養うために必死に働いてきた。いつしか私もベテラン職人の仲間入りをして数年経つ。しかしこの業界から足を洗おうと思ったのは今年だった。

 

人の2倍、3倍働かされても誰からも感謝されず、給料も上がらず、会社や職長の思うがままに使われてきた。そんな中、職場に向かう車の運転中に涙が出てきた。ストレスも限界を迎えていたのではないかと思う。精神科を受診すれば何らかの手が打てたかもしれない、しかし、そんな時間さえも与えてはくれる事なく、働かされた。

 

周りには私と同じような立場の人間が、数人いる。彼らは転職や副業などは考えておらず、昇給も望んでいない。今の現状がどうなっているとか関係ないのだ。その日を何となくこなしている。ストレスの発散方法もうまい。

 

私はストレスの発散方法が、運動やギャンブルとあまりなく、得意な方ではない。結構落ち込みやすいネガティブな性格だ。悩みや心配事があると眠れなくなるタイプの人間で、アルコールへ逃げるといった事もあまりできない。

 

心と体を完全に壊されてしまったのでは、次に進む事はできない。そう思い始めたのが今年の5月位だった。4ヶ月目にしてやっと引っ越しの内見を予約して、今週末に見に行く。

 

時間というのはあっという間に過ぎていってしまうもので、こんな「脱・職人」を夢見て、考えているうちに、今年もあと4ヶ月を切ってしまっている。ダラダラていたらずーっと職人から抜け出せずに、歳を重ねて、この計画を諦めてしまうかもしれない。

 

もう一度、計画を見つめ直し具体的な目標を定め動いていかなければ一生社畜生活だ。

 

とりあえず今週の内見で少し私の心が動くだろう。一人で生きていくとはこんなにも辛く大変な道だという事を。体調を整えるために今日も早く寝よう。

最近の水筒の中身は決まってBCAAだ。うまい、高い、体に良い!

 

 

不動産屋に連絡

今日は仕事中に不動産屋に連絡し、内見を予約した。

 

向こうも契約を取るのに必死だろうが、こちらも事故物件や手抜き工事のような物件に当たらないよう気をつけている。おかしいなと思ったのは、見たい物件の違う階の内見をして、1ヶ月以内に、契約を取ろうとしていた事だ。まだその部屋の方は住んでいるようだが、内見ができるようになってから、中を実際に見て、それから契約というのが筋だろう。

 

対応してくれた方は、すごく丁寧で感じ良かったが、電話している時に、周りのスタッフ?がうるさくしていたのには気になった。

 

この不動産屋とは別のお店では、少し値段が安いからそちらに連絡しようかな。

 

契約を取って会社に貢献したいのは分かるが、もう少し顧客の気持ちを考えて接客すればさらに業績も上がるのにな、とおじさんながらに思った。人との関わりが苦手な私にとってやはり、引っ越しは物凄いパワーやエネルギーが必要だ。

 

フリーランス生活をするにはまずは、拠点とも言える家が必要だ。

 

若い時はすぐに決まったものだが、今回ばかりは少し違う。こだわりやわがままを言わせてもらおう。私はおじさんだ。少し問題あるおじさんだ。

 

今思うと昔、給料16万位の時9万7千円の家賃の家を借りていたのにはビックリだ。一体私は何を考えていたのだろう。本当に馬鹿だった。

 

今では収入も支出も計算しているつもりだ。今回は失敗はないだろう。

 

年内に引っ越して早く落ち着きたい。頑張ろう。

あと4ヶ月で今年も終わり

9月に入り今年も残す所、あと4ヶ月をきった。

 

丁度、会社員を辞めてフリーランスになろうと思ったのも4ヶ月前だった。

あれから色々と初めての事を挑戦してきたが、実際に副業で稼げるようにはなっていない。株に少し手を出し、FXやバイナリーオプションなどで資金を増やそうとしたり楽して資金を増やそうとして失敗したりと様々な経験をしてきた。

 

仕事が忙しい中、WEBライターの勉強も続けて、このブログも日記や雑記的になっているが、唯一書き続けている。しかし日々の成長度を考えるとあまりにも時間がかかり過ぎている。

 

肉体労働してきて流石に勉強となると、眠かったり疲れでサボろうとか、嫌になることもあった。このままでは今のままで現場から脱出できない。一生社畜として生きるしかなくなる。

 

多くの人は一生社員として、定年まで働き続けるのだろう。私はそうはなりたくない。かといって企業できるほどのスキルも人材もない。やはりフリーランスとしてやっていけたら良いのかもしれない。誰かに相談したいが、相談できる人もいない。

 

なんとなく引っ越し先の物件を探してみたり、ブログ読んだり、動画から学んでみたり日々、何となく過ごしているような気がしてならない。こんな感じで全然先が見えてこないし、何も決まっていかない。目標と未来は決めているのであとは具体的な時期と費用を考えなくては。

 

多くの人は会社員になりたくて頑張っているのに、私は会社員を辞めようとしている。贅沢な悩みなのかもしれない。甘えとか妥協と言う人もいるかもしれない。

 

今年中にやっておく事を決めておこう。あと4ヶ月はない、どんどん時間は過ぎていく。

とりあえず次に住む所を決めよう。腰の爆弾も今は静かだから明日も頑張ろう。

ギックリ腰

年に何度か発症する、「ギックリ腰」。力んだり、物凄い無理な体勢で作業したりした時になるわけではないが、意外な時に発症すると私は思う。今までは、

 

  • 人に笑わされて、ふと腰を抜かしたようにしゃがみ込んだ時
  • 家で座椅子に座りながら、食事をしていた時
  • 物を取ろうとして手を伸ばした時

 

等が発症した時の様子だ。症状が軽い時と重い時がある、今日まさに軽いギックリ腰を起こしてしまった。午前中はなんでもなかったが午後から椅子を立ち上がった瞬間にビビビっときてしまった。そんなんで午後からはお爺さんのように歩いていた。時折、激痛が走る。電気を流したような、針で突かれたような痛みが・・

 

親方の前をそんな不恰好な姿で歩こうものなら、不機嫌極まりなくなる。

普通なら「大丈夫か?腰やったのか?」という言葉が出るのが、当たり前なのか、と思いきやこの業界、特に私の会社では、そんな生ぬるい「同情」的な言葉は出てこない。

 

唯一、70代の人が心配してくれていた。

 

パワハラモラハラ歓迎、法律無視、暴力上等(まあ実際は殴り合いとかした事はないだろうけど)

 

こんな会社(特に今の職長だけだが)からおさらば出来るならどんなに心がスッキリするだろうか。まさか私が辞めるとは思ってもいないので、今から楽しみだ。

 

まあ荒波を立てず静かに辞めていきたいものだ。

 

明日も仕事だが、普通の人ならこんな状況なら出勤しないだろうけど私はいこうと思う。

朝、会社や職長に電話をするのが本当に嫌なのだ。休んでいても文句の電話や心無い電話をよくいただくし、面倒が多すぎからだ。それならこんな体でも出勤して動けないなりに適当にやっていればいい。行ったら最後、終業時間までは帰れない。

 

以前、コロナの後遺症で頭痛がしていた時、帰らせてほしいと頼んだが、全く聞いてくれず次の作業を指示された。このような事からこちらの体調などは関係ないのだ。

 

幸い今は、私の他に運転手がいるので苦痛に耐えていれば無事帰れるし、本当に助かる。

なんだかんだで明日は土曜日、世間では休みの方も多いだろうが後1日、今週最後頑張ってみようかな。

 

 

 

 

 

 

職人の生活が長い者

私は職人になって、かれこれ18年が経過している。美容師という、全く違うジャンルからの飛び込みで、結婚を控えていたから、それはそれは必死だった。何があっても辞めない、人とうまくやる、諦めない。というような当たり前だが、絶対にこれで食べて行こうと、また好きな人を養おうと気迫が凄かった。どんなに疲れていようが、どんなに嫌な事があっても決して諦めなかった。その結果、今では国家資格も取り、それなりの立場となって今はやっている。

 

人は必死になると(追い込まれると)死に物狂いでやるものだ。

 

若い頃はそうだった。しかし今はどうだろう?嫌な事からは逃げ、やりたくない仕事は人に任せ、楽ばかりしてはいないだろうか。身のこなし方が上手くなったというのか、世渡りがうまくなったとでもいうのであろうか。

 

私位の職人になるとどの会社からも欲しがられる。つまり、一生くいっパクれる事はないのだ。自分から辞めない限りは。

 

現在の状況といえば、私は会社を辞めようとしている。職人もやめて在宅ワークフリーランスになろうとしている。これまた全く違うジャンルに飛び込もうとしている。

 

冷静に考えればどうかしていると言われるかもしれない。何故これまで築いてきた経験をすて、新しい世界に飛び込もうとしているのか。

 

その理由はまた後日。

 

私のように職人の生活が長い人は朝起きる時間から、帰ってからのルーティン、話し言葉、態度など業界独特の世界観が身についてしまっている。美容師の時のような言葉使いや丁寧な態度、敬語、営業トークなど何年も離れてしまっている。それを今からまたやり直すことはできるのであろうか。本当に不安だ。だがやってみなければわからない。

 

フットワークの軽さや健康の維持方法、ストレスの解消法など職人時代に身についた特技とでも言うべきか、そういった経験は大変これから役に立つと思う。

無駄な経験などない、と言いたい。確かに私は社会から少し取り残された感はある。

 

失った時間を取り戻す事はできないが、これからの未来はなんとでも変えられる。

 

それを信じて実行していこう。

 

まずはあと2日今週も頑張ろう。

雨音

昔、雨の音はあまり好きではなかった。サッカーの時は泥だらけになるし、遊びに行けなくなるし、通勤、通学にも面相な事ばかりだった。

 

しかし今はそうではない、むしろ好きになっている。心が落ち着いたり、雨音を聴きながら眠るのも悪くはない。せっかちな世の中を沈めてくれているような感覚だ。歳をとったせいかそんな感情になっている。

 

そう、ちょうど今日のような雨がこんな事を与えてくれる。

 

昭和天皇が亡くなって平成に変わる日も、雨の降る朝だった。

 

心をリセットし、何か希望に向かって準備をしているようなあの感じを今でも覚えている。母の友人の家に泊まりに行ってた時だった。まだ9歳だったのか、その後何をして過ごしたかは覚えていないが、その日の事は忘れない。なぜだろう、雨というものは人々の思い出になるのか。

 

彼女と初めて海に行った時の大雨、クリスマスの日、盗まれた自転車を自転車に乗って取りに行った時の雨、死ぬ程寒かった高校時代の遠泳実習での雨、バリで晴天からの大豪雨と

 

あまり良い思い出はないのだが、私は今夜のような静かな雨は好きだ。

 

明日も少し雨が残るようだが、頑張っていく事にしよう。