双極性障害だけど楽しく生きる

40代の元職人がWEB在宅に挑戦する道のり

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白虎隊の聖地へー福島県会津若松市ー②

こんにちは❗️

 

こちらは旅日記の続きになります。①はこちらからどうぞ⬇️

 

masametal.hatenablog.com

 

目次

 

 

 

朝3時半に暴れ出す

 

友人のいびきが凄すぎてビビる私でしたが、ノイズキャンセラー付きのイヤホンがありますのでしっかりと対応し眠れました。(友人の呼吸が止まっているようで心配になりましたが😅)無呼吸症候群ってやつですかね。

 

5時間くらい眠れたでしょうか、目が覚めると耳からはイヤホンが外れていて慌てて探す私。トイレに行ったり、水を飲んだりしていると目が冴えてきて、部屋の空気を入れ替えようと、そーっと扉を開けました。(ベランダに出れるタイプの部屋でした👍🏻)

 

外は真っ暗で深い霧に包まれ、どこからか硫黄の匂いのする空気を吸い込み・・ああー気持ちいい!するとだんだんとテンションが上がってきて・・

 

軽いステップからダンスをはじめました。(←発作か?)

 

エスカレートしていきマイケル・ジャクソンのように「ポゥ!」と叫びながら部屋で暴れはじめました。(もちろん友人はまだ起きません😄)その横でベッドに「一人バックドロップ」してました。(←中学生以来してません😆)そして・・・

 

「時間だ❗️起きぃろぉぉぅ‼️」

 

と友人を起こし披露しました。(←迷惑極まりない🤣)

寝坊したと勘違いして飛び起きる友人。ひと通り見てくれた後に一言。

 

散歩行ってみたら?

 

すぐに支度して一人、会津若松の町にサイコパスは消えていきました。

朝4時頃の話です。(←友よ、本当にすまなかった😁)

 

 

 

鶴ヶ城へ

 

この日は会津若松市を1周する感じで、観光する予定でした。

 

市内を循環してくれるバスの乗り放題(時計回りと反時計回りに)があり、私達の見たいスポットのチケットもついたお得なフリーパスがあったので、これを利用することにしました。(ハイカラさんあかベイという名のバスでした。)

 

8時くらいにホテルをチェックアウトして前日の夜、下見をした「鶴ヶ城」へ行きました!

 




鶴ヶ城戊辰戦争(ぼしんせんそう)の時に1ヶ月間、攻防戦を耐え抜いた「難攻不落」の名城として知られています。(戊辰戦争とは1868年に新政府軍VS旧幕府軍ではじまった戦争です)

 

主な城主としては「伊達政宗」「松平容保」(まつだいらかたもり)等がいます。詳しくはこちらをご覧ください。 (←手を抜くな😁)

 

天守閣からの眺めも最高でした❗️



白虎隊の聖地

 

その後、いよいよ飯盛山(いいもりやま)近くの「白虎隊記念館」に行きました。

 

 
白虎隊とは・・・

戊辰戦争に参加した会津藩の少年軍隊です。年齢別に白虎(びゃっこ)は16〜17歳で構成されました。

戦争の激化で飯盛山へ敗走し、燃え盛る会津を見て全員(20名)で自決しましたが、奇跡的に1人だけ生き残り「悲劇の物語」を後世に伝えることができました。


引用元:ジャパンナレッジ

白虎隊|日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典|ジャパンナレッジ

 
白虎隊のお墓(左)と敗走時に通った洞窟(右)です。


鶴ヶ城を守るために16〜17歳の少年たちは戦いましたが(13〜15歳もいたと言われています)新政府軍の猛攻で退却することになり、この洞窟(写真右)を通り飯盛山(白虎隊自刃の地)へと導かれていきました。

 

現在の10月とはいえ、水は冷たかったでしょう🥶。約150mの洞窟内を少年たちは「どんな思いで、またどの様にして歩いたか」を思うと、やりきれない気持ちになります😢

 

 

白虎隊が最後に見た会津の町です

 

 

木々や建物で景色は変わってしまっていると思いますが、ここから白虎隊は会津の町が燃えているのを「城が燃えている勘違いをして自決した」と私は記憶していました。

 

しかし、実際は「燃えているのは城下町城はまだ落ちていない」とはっきり見えていたそうです。城に戻り助けに行くこともできましたが、「途中で捕まり捕虜となり生き恥をさらすくらいなら、ここで自決し武士の本分を明からにすべきだ」という提案に全員が賛成して・・

 

1868年8月23日(現在の10月)午前11時頃、白虎隊士20名は自らに刃を突き刺し、若い命を絶ちました😢

 

約150年前、ここで10代の彼らがどんなに無念で怖かったことか・・・

友人の前で泣くわけにもいかず、ただ涙を堪えていました。

 

 

 

さざえ堂(国指定重要文化財)

 

その後は同じ敷地内にある「さざえ堂」を見に行きました。

国指定重要文化財であるお堂です

中にも入れて(私はこの時、頭痛がして入りませんでした😅)らせん階段を登っていくと、しぜんに下りてきてしまうという不思議な一方通行になっているようです。

 

友人が大声で(周りの人が皆こちらを見ていた)私に話すので(興奮してんじゃねーよ、このファッキンジャップが😎と思いながら)詳しく説明したら納得してくれました。私は元大工なのでこういう構造わかります。もちろん「カーペンターズ」も歌います。(←こういうのいらない😁)

 

 

 

会津武家屋敷で喜多方ラーメン

 

お腹も空いてきていましたのでバスで移動後、会津武家屋敷にあるラーメン屋さんに入りました。

写真を撮り忘れ😅フリー素材から拝借しています・・

 

喜多方ラーメンといえばこのようなあっさりの醤油味ですね!二郎系ラーメンから比べれば、これは私たちにとって健康食品でありますので一瞬で完食してしまいました😄(←食レポ向いてない😅)

「山嵐」をかける、姿三四郎のモデルになった西郷四郎


その後、野口英世青春記念館(野口英世が手術してもらった医院後地)など見学して「会津若松駅」に戻りました。

帰りのバスは午後5時出発(←友人が手配)でおそらく家に着くのは午後11時頃・・・って😨(←俺はいいけど、あんた明日仕事だろーっつの大丈夫なのー?)安定のおっさん2人横並びで帰りました😄(←帰りは満席で移動できず・・・😱)高速バス恐るべし。

 

 

 

旅を終えて

 

今回の旅は友人と行きましたが、1人旅とはまた違う楽しみ方もできて良かったです!

普段は1人行動が多く、アフォー者なので電車などよく乗り間違えますが、友人もいたので安心して行けました。

自分の行きたい所だけでなく、友人の希望していた場所に出向くことで、意外な体験もできました。またブログに書くことにより、調べ直したりと改めて勉強にもなりました。

 

旅をすることで、どんなに思いがけないことがあっても、それは新しい発見を学ぶチャンスなのかもしれません。旅、是非おすすめします👍🏻

 

 

これにて旅日記、終わりとなります。

お読みくださりありがとうございました❗️