水木しげるの故郷、調布市への巡礼
こんにちは❗️まーめたるです。
11月30日は漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるさんの命日でした。
それに伴い、東京都調布市が何やらにぎわっているとの情報がありましたので、実際に行ってみた感想など書いていきたいと思います。写真だけでもご覧いただければ嬉しいです🙇♂️
水木しげるさんについて
(写真:鳥取県公式サイトより)
水木しげるさん(本名:武良 茂)は1922年(大正11年)3月8日大阪府で生まれその後、幼少期は鳥取県境港市で育ちました。(←水木しげるロードや水木しげる記念館が観光スポットとなっています)
1943年(昭和18年)の太平洋戦争時、敵の爆撃により左腕を負傷して(その後、切断)失いました。(←麻酔なし😱)
1959年(昭和34年)から東京都調布市に移住し、2015年(平成27年)11月30日に三鷹市の病院で亡くなられました。
大ヒット作『ゲゲゲの鬼太郎』で日本に妖怪ブームを起こし「妖怪漫画の第1人者」として今もなお多くの人から愛され続けています。
(以下「先生」と呼ばせていただきます。)
先生は生涯の50年以上を第2の故郷である東京都調布市で過ごされました。調布市では命日である11月30日を「ゲゲゲ忌」と名付け、功績をたたえるイベントを毎年開催しています。
主な作品
『墓場鬼太郎』・・・1960年(昭和35年)からシリーズ開始
誰もが知っている『ゲゲゲの鬼太郎』の元になった作品です。水木という血液銀行に勤める青年が、隣の古寺に引越してきた奇妙な夫婦(幽霊族の生き残り)と出会い、鬼太郎が誕生して不思議な体験をするという内容です。なお作中で「水木」という自分の名を出していますが、自分とは違う人物を描いたそうです。
『悪魔くん』・・・1963年(昭和38年)刊行開始
天才少年の悪魔くんが、妖怪や魔物を退治していくという作品です。極貧生活を経験された先生の社会に対する怒りが影響して、当時世間にはあまり知られていなかった「オカルトの世界」を取り入れ、貧乏を打ち砕く魔法を使い革命を目指すといった様子が描かれています。
『河童の三平』・・・1961年(昭和36年)刊行開始
先生の故郷である鳥取県境港市の川に「河童がすんでいる」という伝説があった為、そこから着想を得て描かれた作品です。主人公河原三平が河童と出会ったことから始まる奇妙な物語です。読む人に恐怖を与えるような表現はあまりなく、先生はこの主人公が好きだと言われており「紙芝居版」や「雑誌連載版」にはなりましたが、テレビアニメ化はされませんでした。
先生の妻である武良布枝さん(むら ぬのえ)の自伝『ゲゲゲの女房』はNHK『連続ドラマ小説』としてテレビドラマ化されました。
水木しげる - Wikipediより引用
称号・受賞
紫綬褒章(しじゅ ほうしょう)
旭日小綬章(きょくじつ しょうじゅしょう)
文化功労者
東京都名誉都民
調布市名誉市民
鳥取県名誉県民
詳しく知りたい方はこちらから
深大寺
いざ調布へ行ってみよう❗️ということでまず深大寺をお参りしました。
いやー綺麗になりましたねー。子供の頃よく歩いたのですが砂利道じゃなかったかな?
そしてこちらが大晦日に行くと混みすぎて歩けない「本堂」です。空いていてよかった😄
深大寺へのアクセスはこちらから
鬼太郎茶屋
その後、深大寺の敷地内にある「鬼太郎茶屋」へ行きました。
2003年(平成15年)にお蕎麦屋さんだった場所を改装して作られたようです。
こんな可愛い車まである😁
店内には「妖怪喫茶」があり「一反もめんの茶屋サンデー🍨」「目玉おやじの栗ぜんざい👁」「ぬり壁のみそおでん🍢」「ゲゲゲラテ☕️」など食べてみたいメニューがたくさんあります。
気になった方はこちらをどうぞ
先生との思い出
私が小学生の頃、先生のお宅にサインをもらいに突撃訪問して、奥様(武良布枝さん)に門前払いを2回されたのを覚えております。
先生も調布市のあちらこちらでお見かけし、機嫌がいい時はお話してくださいました。(←声を掛けづらいオーラがありました😅)
よく散歩をしているのを見つけて、ついていこうとするのですが、「何故か追いつけずに最後はまかれて見失ってしまう」といった不思議な体験を何度もしました。(←私の母も体験したらしいです😄)
地元民しか知らない先生の秘密
【公式】墓場鬼太郎 第1話「鬼太郎誕生」 - YouTube
『墓場鬼太郎』の第1話で鬼太郎が生まれるまでの話が見れるのですが、4分27秒のところで(一瞬ですが)鬼太郎の両親が住んでいる「家」が映ります。
実際のシーンがこちらなのですが↓
これについて調べたところ色々な情報が飛び交っていてどれが本当なのか分からずにいました。
この位置に先生は立っていられた❗️
こちらの私が写真を撮った場所に先生はよく立っておられました。その姿は今でも鮮明に覚えています。実は(詳しい場所は書けませんが)この神社が先生のご自宅から一番近いところにある神社なのです。ですから「あの家」のモデルになったのは「ここなのでは」と私は思うのです。
鬼太郎ひろば
その後、帰り道に新しくできた「鬼太郎ひろば」によって帰りました。
まとめ
今回、私の大好きな漫画『ゲゲゲの鬼太郎』ゆかりの地を訪れて改めて思うのは、世代を超えて今でも先生は多くの人から愛されているということです。「ゲゲゲ忌」で巡礼地、全ては見てまわれませんでしたが、行く先々で多くの参拝者とすれ違いました。あたたかい光景を目の当たりにして、先生と私の故郷への想い「調布愛」が再認識できました。
先生の言葉の中に
人間は寝ることによってかなりの病が治る。
私は「睡眠力」によって傷とか病気をひそかに治し
今日まで「無病」である。
私は「睡眠力」は「幸福力」ではないか、と思っている。
水木しげる
という「睡眠力」=「幸福力」を書いた名言があるのですが、片腕をなくし生きる希望もない戦時中の状況下でも先生は絶望せず生還されました。丈夫な胃を持ち、腹痛など起こすこともなかったそうです。(←マラリアにはかかった)何より睡眠が「健康と長寿の秘訣だ」と唱えて、ご自身も93年間生きられました。
現在、私は精神障害を患っており睡眠障害も症状の一つで苦しんでいますが、先生の描かれ続けた「人間と妖怪」の共存というテーマが「私と社会」のように思えてなりません。これから「社会復帰」を目指す身にとって、「人と人が関わり生きていく難しさ」を伝える先生からのメッセージだったのかもしれません。
先生、ありがとうございました❗️
そして、たっぷり寝てくださいね❗️
お読みくださりありがとうございました❗️皆様、良い週末を❗️
そして良い睡眠を😄(←こら、パクるな)